大場大のブログ "セカンドオピニオン"

がん治療専門医による、個人的な「つぶやき」ブログ

文藝春秋&小学館の「悪質な一貫性」

前回のブログ記事が賢明な多くの方に受け入れて貰えたようで、この場を借りて感謝申し上げます。

さて、問題の川島なお美さん記事リリースと時を合わせて、「文藝春秋11月臨時増刊」という形でも、やはり近藤誠氏がメインとして扱われています。この風景は、どう見ても、文藝春秋×近藤誠氏の強固な「利益相反」を宣言する狼煙を上げているようにしか見えません。

 

話は変わりますが、ジャーナリズムの使命(ミッション)とは、事実 (ファクト) を正しいベクトルで正しく報道することだと個人的には思っています。ところが、例えば「従軍慰安婦捏造」記事にみられた、信じ難い虚偽報道問題に対して、まともな謝罪もない某メディアは、いまだにこの国を貶めるような姿勢を相も変わらず崩そうとはしません。一体、どこの国の報道機関なのでしょか。

そして、これとまさしく同様なふるまいを示し続けているのが、近藤誠氏です。

「日本の医師はレベルが低い」「日本の医療はダメだ」

そう吹聴し続ける様は、一体どこの国の医師なのでしょうか。

また一方で、川島さんの文藝春秋記事にもみられる、近藤氏に合いの手を入れる役割の「職業ジャーナリスト」たちも、主観のオンパレードはみせるものの、一体どれほどの手間ひまをかけた客観性のある取材を重ねているのでしょうか。

 

近藤氏はもはや「医師」ではなく単なる「思想家」だと言い切れます。なぜならば、近藤氏は、がん患者さんを目の前にした時に、大昔は放射線科医だったのかもしれませんが、残念なかまら今ではもはや何もできない正体が見透かされるわけです。

スキルも実践経験も乏しく、データばかりを巧みに操って患者さんを不遜に扱い、自身は責任を一切負うことなく、安全地帯である机上で評論をしているだけなのです。

それはまるで、怪しい宗教の教祖様のようなふるまいではないでしょうか。

検証のない単なる個人の思想や観念を、「医学」という枠組みで議論すること自体が、非常に不健全であるといえるでしょう。

 

しかし、各出版メディアは、彼を「医学」枠としてワッショイワッショイと持ち上げたがります。なぜならば、出版物が売れるからです。ビジネスとして稼げる商品だからです。

そうした「利益相反」から脱却できないままでいる代表格が、『文藝春秋』であり、最近では『小学館』もその軍門に下ったことが伺えます。

 

『文藝春秋』は、長年にわたり近藤言論をまるで「教養」枠として重宝し続け、「菊池寛賞」も与えることで、ビジネス利潤の好循環を自作自演しているようにしかみえません。

思考を停滞させることで、それに洗脳されてしまった近藤信者たちを相手にことさら老婆心のごとく訂正を促す気はありません。なぜならば、昨今のデモ行進にもみられるように、「無知」が原因で思想や観念が幅を利かしている薄気味悪い病理に対し、理性的な議論が成り立たないからです。

しかし、人として大切にするべき本来の理性や教養を希求する方たちを惑わすことだけは許容されるものであってはならないと思っています。

 

青年誌「ビッグコミック」(小学館) で連載されている『医者を見たら死神と思え』という漫画をご存じでしょうか。

漫画という作品ツールは、視覚的要素が大きく、さらに有名誌での連載ともなれば、非常に影響力が大きい表現媒体といえます。であるからこそ、いくら漫画というフィクションであっても、作者たちは丁寧な取材を重ねたうえで、それなりの客観性や真実を重視しながらの内容を心がけているはずです。

過去に漫画『美味しんぼ』という作品内のある描写が  "風評被害" として問題になった事例も、そういうことなのでしょう。

 

この漫画に関しては、医療系というジャンルとしては極めて異質な表現が垂れ流しにされています。なぜならば、監修を務めているのが近藤誠氏だからです。

近藤氏がこれまで続けてきた言論活動が作画で忠実に再現されているだけの漫画です。検証のない個人の仮説レベルのモノを、がん医療という非常にデリケートなテーマに外挿することを許容してしまっている出版社のモラルは、一体どのようになっているのでしょうか。

 

この作者の前作は、築地市場を舞台として人情味ある人間模様を描いた、『築地魚河岸三代目』という作品のようです。その中で、正義感溢れる、情熱的な主人公 赤木旬太郎というキャラを彷彿させる、真藤隼人という医師が、この『医者を見たら死神と思え』の主人公として登場しています。

真藤隼人 (しんどうはやと) =近藤誠 (こんどうまこと)

そう描かれているのは一目瞭然なのですが、がん医療の現場に宿っている理性を個人の恣意のみでイタズラに貶め続け、何の教育も生み出していない誤った情報が漫画を介して発信されていることを看過するべきではないと思います。

近藤氏の身勝手な思想に感化され、この漫画内容の影響を受けたがゆえに、生死にかかわる犠牲を被った患者さんが明らかとされた場合、人道的・倫理的側面から作者や出版社はどのような責任をとられるのでしょうか。

 

最新号 (11/10号) と前号 (10/25号) では、「ある医師への反論」前・後編というタイトルで近藤言論をさらに正当化させようとする不気味な内容となっています。この「ある医師」とは、紛れもなく私のことを指しています。

f:id:masaruoba:20151027165240j:plainビッグコミック (2015/10.25 号) と ビッグコミック (2015/11.10 号) より引用

「若さゆえの勉強不足」「売名行為」と私を執拗に貶めることに名誉毀損を覚えますが、一方で真藤医師(近藤氏)を正義として描き(描いてもらい)、それを多くの読者に真実であるかのようにみせている描写は絶対にマズいとしか言いようがありません。

この漫画のモチーフとなった実際の対論についての詳細は、拙著で取り上げましたので良かったらご覧ください。

東大病院を辞めたから言える「がん」の話 (PHP新書)

東大病院を辞めたから言える「がん」の話 (PHP新書)

 

近藤氏と直接対峙して実感したことですが、彼に対してひとつでも批判を示すと、それが自己全否定と受け止めてしまう被害意識が相当強いということです。そのような人間は、日頃から周囲に対してフィードバックのない破壊的な批判で身を守ろうとします。場合によっては、「陰謀論」まで持ち出します。

言い換えますと、自身に都合の悪いことは、すべて「悪」と裁くクセがあるということです。そのようなイデオロギーがいかに厄介であるかは、賢明な方にはおわかりでしょう。

 

さて、この漫画の横欄には「対談募集」を促すコーナーがあり、『文藝春秋』との共同企画であると記載されています。

要するに、『文藝春秋』『小学館』『近藤誠』は線で繋がっているということを意味します。

また、主人公である真藤医師の熱烈サポーターとして描かれている女性キャラが、以下のようなセリフを前号で残しています。

「ビックコミック」の編集長は (真藤) 隼人先生のファン・・・目指すは " 漫画界の『文藝春秋』" だとか・・・

これは、本当の話だと思われます。実際にはこういうことなのでしょう。

「ビッグコミック」の編集長は (近藤) 誠先生のファン・・・目指すは " 漫画界の『文藝春秋』" だとか・・・

出版業界は編集長の個人的な主観・嗜好が支配している世界なのかもしれませんが、事実(ファクト)を歪める内容を平気で公に放つのは、先の「従軍慰安婦捏造」記事問題と同様な精神構造でしょう。

 

さて、『小学館』の出版モラルを調べてみますと、ホームページ上では以下のように記されています。

「出版物が世の中全ての悪いことを無くすことはできないが、人の心に良い方向を生み出す、何らかの小さな種子をまくことはできる。人生の中で大きく実となり、花開く種子をまくという仕事が出版であり、これが当社の理念です。」


 <人の心に良い方向を生み出す??>


・『医者を見たら死神と思え』

・『がんより怖いがん治療』(2014年 小学館)

上記のような種子をまいて、具体的にどのような大きな実を期待されているのでしょうか。

これら出版物には、将来に向けた理性や教育といったものが残念ながら何ひとつ見当たりません。

おそらく、「医学」を正しいベクトルで正しく理解することが、出版社編集スタッフに全く備わっていないからでしょう。


そして 懸念されるのは、理性や教育をないがしろにしてでも、ビジネスを最優先する不健全な精神にいったん支配されてしまうと、あとは『文藝春秋』のように「悪質な一貫性」を続けるしかありません。

この漫画は、この先一体どのような形で結末を迎えるのでしょうか。さぞかし、"ドラえもん" も心配していることでしょう。

近藤誠氏の川島なお美さん記事に思うこと

文藝春秋 (十一月号) に、またもや亡くなられてから声をあげる常套手段で、故 川島なお美さん の記事が掲載されました。「法律上、亡くなった方は医師の守秘義務の対象ではなくなりますが~」という前提を置いているようですが、亡くなられた川島さんの個人情報をベラベラと公にするのは倫理的にいかがなものでしょうか。

そして驚いたのは、「肝内胆管がん」と最初に診断されてから間もなくして、なんと近藤氏のもとを訪れ、セカンドオピニオンを求めたというのです。記事の内容は、相も変わらず持論をうまく外挿しながら、医師でありながら非医学的な「観念」の連打を繰り返しています。

同様な病気を患われた方がこの記事の誤った情報に引っ張られないためにも、このブログで糺してみたいと思います。

 

その前に、川島なお美さんの訃報が流れたタイミングで様々な専門性を持った医師たちがメディアを介して盛んにコメントをされていました。しかし、時系列として彼女が「肝内胆管がん」と診断された時点における重要な各論は皆無であったような気がします。「予後が悪いがん」だから、手術をしても治らなかったのでは?と、なんとなく決めつけられたフワフワした議論もみられました。本当にそうだったのでしょうか。

 

詳細な情報がありませんので、明確なことは言えませんが、近藤氏の記事の文面から予測できることを述べてみます。

「MRI 検査で二センチほどの影が確認された」

「検査画像では転移の所見は認められなかった」

要するに、「腫瘍径:2cm大」「腫瘍個数:単発 (1個だけ)」「転移:目に見えるリンパ節転移や遠隔転移を認めない」という条件の「肝内胆管がん」だと思われます。原発性肝癌取扱い規約 第6版 (日本肝癌研究会 編) に従うと、ステージⅡ (場合によってはⅢ) ということになるでしょうか。「予後が悪いがん」と決めつけたコメントを発する医師が大勢いるようですが、上記条件の「肝内胆管がん」に対して、がんの取り残しなく、しっかり手術を受けるとどれほどの予後が予測されるかご存知でしょうか。

質の高い手術を行うことで有名なジョンズ・ホプキンス大学 (米国) の外科医 Hyder 医師の報告によると、 514 例の「肝内胆管がん」を治療した成績をふまえて提案した「ノモグラム」という予後予測解析ツールがあります (JAMA Surg 2014;149: 432-8.)

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それを使って予測してみますと (あくまでも、記事情報のみでの手術前予測であることはご了承ください)、近藤氏のもとに訪れた時点で

少なくても「手術によって3年生存率は80%以上、5年生存率は70%以上」

という結果になります。あくまでも予測とはいえ、診断当初はいくらでも治せるチャンスがあったと言えるでしょう。

しかし、近藤氏は手術は「合併症も含めてバタバタと亡くなっていく」、「メスを入れたところかにがん細胞が集まり、急激に暴れ出すことが多々ある」危険なもの、と数字を一切示さないで誇大に恐怖を煽るだけです。それらの根拠は一体どこにあるのでしょうか。

記事通りだと、川島さんは、実際に手術を受けたのが、診断時からなんと「5ヶ月」も経ってからのようです。お仕事の関係や、主治医との折り合いが悪かったのかもしれませんが、近藤氏の意見に賛同してしまったということはなかったのでしょうか。

 

「肝内胆管がん」が厄介なのは、肝臓には豊富なリンパ流があり、そのふるまいはリンパ節転移を非常に起こしやすいということに尽きます。病気が見つかってから「5ヶ月」も経てば、がん細胞は容易にリンパの流れに乗って、転移をしてしまうリスクが高くなるのは当然でしょう。以下、4つの大きなリンパ流を示します。

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  ①肝十二指腸間膜、②胃小彎、③大動脈周囲、④縦隔  

 

「治癒」を目指すためには、これらリンパの流れを意識した質の高い手術が「肝内胆管がん」には求められるのです。

 

さらに問題なのは、低侵襲 (ストレス) だからという理由で、平然と「ラジオ波での焼却」が薦められています。メディア上でそれに賛同を示す医師もみられますが、上記で示したようなリンパの流れを意識した専門性の高い手術をすることで、「治癒」できるかどうかが議論されるべき病気なのに、目に見える箇所をなんとなく姑息的に焼いたらいいと、個人の主観・嗜好でものを言ってはいけないのです。手術で治癒可能な「肝内胆管がん」に対して生存利益を示す根拠がないにもかかわらず、気軽にラジオ波焼却という選択肢を提示するべきではありません。放射線治療も然りです。

 

結果的には、川島さんは半年近く「放置」されていたことになります。この病気特有のふるまいを、診断された時点で丁寧に説明されなかったことが最大の罪に思えてなりません。

この記事のタイトルには、「川島なお美さんはもっと生きられた」とありますが、事の真相は、近藤氏の意見 (オピニオン) に振り回された結果、「治るチャンスを逸してしまった」ということではないでしょうか。医学的に誤った内容を平然と記事にしても恥じない出版社×近藤誠氏、患者さんの尊い命を自らのビジネスに利用することに良心の呵責はあるのでしょうか。

 

最善の情報、最善の医師に辿り着いていたとしたならば、現在も元気な姿で舞台に立っていたかもしれません。素晴らしい女優であったからこそ、早い最期が惜しまれます。

 

大場先生、がん治療の本当の話を教えてください

大場先生、がん治療の本当の話を教えてください

  • 作者: 大場大
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2016/11/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  •  

 

 

 

フワフワした抽象論ばかり

前ブログで取り上げました、著名人の「がん」報道について思うところを、いくつか取り上げていきます。

いくらネット社会と謳われている今日であっても、テレビメディアの影響は非常に大きいままだといえます。あるいは、ベストセラーのような出版物も、同様に影響力を持ち得るメディア媒体といえるでしょう。しかし、「がん」がテーマになると、その情報内容の真偽や信憑性が検証されることは通常ありません。いくらインチキであっても、不慣れや未知、不安や心配という特殊な状態であればあるほど、容易に強固な錨 (いかり) を降ろしてしまいます。

 

様々な情報と対峙したときに、ある程度は各々で「前提」というものを築いているでしょうから、それに照らし合わせながらの情報選択や、解釈や理解を深めるためのアプローチ (リテラシー) ができているはずです。しかし、テーマが「がん」になると、一体どれほどの「前提」が備わっているでしょうか。身近にあるメディアから発せられた「わかりやすくてセンセーショナル」な医学情報が「前提」となってしまうと誤った意思決定をしてしまうリスクが非常に高くなってしまいます。なぜならば、「わかりやすくてセンセーショナル」なほどエセ医学である確率が高いからです。

 

最近、ニュースキャスター 黒木奈々さんの「胃がん」、女優 川島なお美さんの「肝内胆管がん」による訃報が重なり、ミュージシャン つんくさんの「喉頭がん」やタレント 北斗晶さんの「乳がん」との闘病記など、集中的に「がん」報道が各メディアから流れてきます。これら著名人への注目度が高いことをよいことに、それをビジネスと捉え様々な問題を抱えた「近藤誠氏」による記事が「文藝春秋 (十一月号)」で掲載されました。

 

出版社としては、医学的な真偽や教育などどうでもよく、売れさえすればよいのでしょう。このような記事を、知性をリードするべき出版社が平然と世に放っても恥じない出版モラルは一体どうなっているのでしょうか。医学的に何が問題であるのかについては機会があれば後を追って言及したいと思います。

 

さて、その川島なお美さんについてのメディア報道の中には、「抗がん剤を拒否」したことがまるで美談であるかのように伝えているものがありました。要するに、抗がん剤を「悪」と裁き、その「悪」を選択しなかったことがある種の正解に繋がったという解釈になってしまうのはマズイなあと思います。

メディア報道のクセとして、「がん」とは?「手術」とは?「抗がん剤」とは?のように、大きな枠組みで、フワフワと概念のみで議論されていることがあります。上記の著名人が罹った「がん」も、「何のがん」で「どのような状況」だったのか?そして、「どのような目標」を設定し、それを目指した時に「どんな治療」が適切なのか?を、すべて各論で話をしなくてはいけません。

川島さんの罹った「肝内胆管がん」という病気について、「どのような状況で診断され、何を目指すための治療だったのか?」

当然「治癒」を目標に置いた場合は、何よりも「手術」という治療が大きな重みをもちます。診断されてからどのタイミングで、どのような質の手術が行われたのか?そこの具体的な議論がごまかされてはいけません。

 

また、一言で「抗がん剤」とはいっても、「肝内胆管がん」に対する抗がん剤はどのようなものがあるのか?乳がんや大腸がんとは違って、選択オプションが三つほどしかなく、また皆に等しく効果が期待できる、と言い切れるわけでもないため、再発形式や全身の状況次第では無理に抗がん剤治療が薦められない場合もあるかと思います。 無念にも手術の後に再発してしまい、病気が原因で時間と共に消耗してしまった時期 (悪液質) のみを切り取って、「激痩せ」ばかりを強調しながら「手術」「抗がん剤」とは云々をフワフワと議論するのではなく(痩せとの因果はない)、また、近藤氏の常套手段ように、お亡くなりになってから声を大にするのではなく、病気が診断されてから誤った情報に引っ張られたことで、最初の段階で治るチャンスを逸してしまったことはなかったのでしょうか。

 

 一方で、最初に川島さんに関わった医師と彼女との間でどのようなコミュニケーションが交わされていたのでしょうか。耳に入ってくる情報では、決して良好な信頼関係が築けていたようには感じられません。病気について、治療について、「前提」が十分に備わっていない彼女が本当に理解し納得するまで、真摯で丁寧な説明がされていたのでしょうか。そして、リンパ節転移を起こしやすい「肝内胆管がん」に対して、適切とは言えない腹腔鏡で行った手術はどのようなレベルのものであったのか?

様々な各論抜きで、なんとなくエモーショナルに彼女の「がん」が論じられているような気がしてなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

「思考停止」になることなかれ

はじめして。「がん」治療を専門にしている外科医・腫瘍内科医の 大場 大 (おおば まさる) と申します。このブログは、臨床現場でのやりとりや出版物とは一線を画した、自由で気ままな「つぶやき」表現の場として利用させていただこうかと思っています。あくまでも、個人的なオピニオンにしか過ぎませんので、そのあたりはご了承くださいませ。

 

さて、先日、拙著『東大病院を辞めたから言える「がん」の話』(PHP新書) を上梓いたしました。前著『がんとの賢い闘い方 「近藤誠理論」徹底批判』(新潮新書) から、わずか2か月足らずでの出版となります。

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東大病院を辞めたから言える「がん」の話 (PHP新書)

短期間での大変な作業ではありましたが、本書で読者にもっとも伝えたかったメッセージは、本記事見出しタイトルにもありますように  "「思考停止」になることなかれ "  です。

 

個人の政治的な信条や、信仰心についてとやかく言う気は毛頭ありません。相対的に右でも左でも、角度を持つことは自由なことでしょう。しかし、物事について真っ直ぐに考えることを放棄することは、「無知」を生み出します。「無知」だと厄介なのは、「観念」や「思想」のようなものが幅を利かせてしまうということです。

 

例えば、最近のデモ行進でみられている "安全保障関連法案=戦争法案" と身勝手に定義して、ヒステリックに発狂している人たちをみると、なんだか心配になります。彼ら、彼女らの中に、「日本国憲法」をしっかりお読みになったうえで、国家の安全保障について理性的に議論できる方が一体どれほどいるのでしょうか。好き or 嫌い だけの感情論、Yes or No だけの二元論的な結論付けになってはいないでしょうか。

一方で、憲法違反ばかりを強調する憲法学者と呼ばれる方たちも、じゃあ「現憲法で国家を護れるのか?」という何よりも大切な「問い」がなぜ立たないのでしょう。

ソクラテスの「無知の知」ならばよいのですが、無知であることを知らない、いや知ろうとしないイデオロギーは厄介と言えます。

 

そんな話と同様に、昨今の著名人の「がん」報道についても、様々な情報が入り乱れ、平然とおかしなことを言っても恥じない医師がなんとこの国には多いことか。そんな彼らから発信される「わかりやすくてセンセーショナル」なエセ医学に容易に引っ張られてしまう人たちが後を絶ちません。不慣れや未知であったとしても、「がん」は人生を一変させる病気だからこそ、健全なリテラシーを個々で身につけて欲しいと心より願うばかりです。