大場大のブログ "セカンドオピニオン"

がん治療専門医による、あくまでも個人的な「つぶやき」ブログ

何から何まで語ろうとする医師への違和感

このブログで、川島なお美さんのことに触れたことが反響を呼び、『女性セブン』(小学館) から取材を受けた記事が現在掲載中です。さらには、総合オピニオンサイト「iRONNA」で『誰が川島なお美の命を奪ったのか』というテーマとして、詳細な記事を書かせていただきましたので、よかったらそちらもご覧ください。

http://ironna.jp/theme/410

 他にも様々な分野でご活躍中の医師たちが、それぞれの切り口で寄稿されているのですが、率直に申し上げると、どれもこれも各論を極力省き、耳障りのよい「なんとなく論」に落とし込んでいるということです。そんなことでは、水掛け論に終始してしまいます。各論にこそ、プロフェッショナリズムが問われるのです。

 

彼女の患った「肝内胆管がん」患者のことなど、現場でまともに直接診たこともないはずの専門外の医師たちが、「胆管がん」という大きな枠 (フレーム) で教科書記述的な総論を述べ、まるで何でも知りえているかのようにみせながら、自身の得意な論点に話題をシフトさせて主観の連打を繰り返しています。

漠然と「胆管がん」という疾患群としてフワフワ議論をしても、患者さん個人には何も意味を持ちません。プロならば、"手術が可能な「肝内胆管がん」" として議論するべきでしょう。知らないのであれば、自制するべきです。

 

私は、以前から、何から何まで語りたがる医師に対して違和感をもっていたので、この場で少し自由にモノを言わせていただこうかと思います。

 

よくあるのは、人の「死」について上から目線で語りたがる医師たちへの違和感です。おそらくは、「緩和ケア」に従事している医師たちの中に、そのようなクセが目立ちます。あるいは、臨床現場で患者など診ているはずもない基礎研究者の類にもみられます。最近では、東大病院集中治療部教授の矢作直樹氏のように、現場不在で何をしているかと思えば、意味不明な「死後の世界」を語っているような危ない者もいます。

 

作家や思想家としてではなく、医師という肩書きで上段から率先して語りたがる「死」とは何でしょうか?「死」が存在する現場に携わった経験があると、ヒエラルキーの頂点に立ち、まるで人の「死」をすべて理解したような錯覚に陥っているだけではないでしょうか。

私は、それらすべて「傲慢な主観」だと思っています。

医師としての立場からみた患者さんの「死」と、患者さんのご家族からみた「死」、患者さんご本人の「死」はすべて異なるはずです。

「がん」という病気に携わる医師は、実際に「死」というリアルにたくさん遭遇します。だからと言って、人の「死」について偉そうに講釈をたれるほどの立場なのでしょうか。

 

私もこれまでに、数えきれない患者さんの「死」をみてきました。患者さんが生きている時には、手を差し伸べ、一生懸命ベストを尽くしてあげたいなとは思っても、「死」だけを切り取って語り尽くすなど到底できるものではありません。

臨床医として言えることは、医師が一人の患者さんを看取る場とは、自らが行った診療行為が、患者さんにとって生きている時に本当に幸せであったのかを自問自答する場でもあります。

ひとりひとりの「命の尊厳」を体感するからこそ、患者さんがお元気だった時に、もっとよいことが何か出来たのではと反芻して考えるのです。

 

さて、話は変わりますが、がん患者さんが最期を迎える時期には、必ず何らかの形で「緩和ケア」を受けているはずです。それは、患者さんに残された人生の大切な時期に必要とされる重要な治療です。

様々ながん治療は、この「緩和ケア」を基本として成り立っていると言っても過言ではありません。これを早い時期から介入させることの重要性は、昨今のがん医療に携わっている医師たちのほとんどが理解しているはずです。

言いかえますと、「緩和ケア」は何も緩和ケア医のみが専門として扱う専売特許ではなく、外科医も内科医も、薬剤師も看護師も、がん診療に携わっているすべての医療スタッフたちは皆、多かれ少なかれ「緩和ケア」を普段から実践し、より質の高い「緩和ケア」の実践を目指して自己研鑚を怠ってはいないということです。

 

一方で、少し見方を変えますと、「緩和ケア」のみを扱っている医師とは、患者さんの治療人生の旅の中で、最後のプラットホームに立っている医師 (後医) ということになります。

しかし、「後医」だからといって、なんでも知っている「名医」ということではありません。ところが、この分野に限っては、学術的に従事している志の高い医師も当然いらっしゃるのですが、誰でも自己流でコミットしやすい場 (ヘテロ集団) だともいえます。「死」というテーマも含めて、個人の観念やイデロギーのみで安易に語られやすいということです。時として、変に「自身過剰」になる者も現れます。

 

話を元に戻しますが、今回の「iRONNA」で寄稿されている医師たちにみられるように、耳障りのよい中庸に落とし込むことは、現場の最前線にいる医師たちからみると、どうしても違和感をもってしまうのではないでしょうか。なぜならば、冒頭でも指摘したように、医師としての「プロフェッショナリズム」を大して感じないからです。

人生を賭けて習得した教育・サイエンスが礎にあるのが医学であり、ひとりひとりの患者さんに決して手を抜かず、医学をできるだけ安全に実践するのが医療だと思っています。決して、机上で一般向けに聞こえのよい評論をすることではないのです。

 

最後に、講演でよく使用させていただいている、「医師としてのプロフェッショナリズム」を説いたスライド図を示して、本日のブログを〆たいと思います。

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(自戒も込めて) 世間で声の大きい医師たちよ、あなたがたにこれらが本当に備わっていますか?