大場大のブログ "セカンドオピニオン"

がん治療専門医による、個人的な「つぶやき」ブログ

近藤誠氏の川島なお美さん記事に思うこと -追記-

現在発売中の週刊新潮 (11月26日雪待月増大号) にて、ある「ふとどき者」についてコメントさせていただきました。この新潮記事にみられるように、近藤誠理論は思想や信仰のようなオカルトの類として取扱うのが賢明でしょう。医学枠として議論すると厄介なだけです。

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<週刊新潮 (11月26日雪待月増大号) より>

 

近藤氏は、川島なお美さん不在をよいことに、ご自身の視点から一方的に語っているだけですが、川島さんご本人は、患者立場として近藤氏のことを実際どのように思われていたのでしょうか。最期まで病気と闘われていた最中に、近藤氏から受けたセカンドオピニオンについて本当に納得のいくものだったのでしょうか。

現在となっては闇の中ですが…ひとつ言えることは、近藤氏の教えに従ったがゆえに犠牲者を生み出してしまったことが世に明らかとされた場合、彼自身、そして彼とパートナーシップを築いてきた出版社はどのような「倫理的・人道的責任」を負うつもりなのでしょう。

 

ぼくは『ラジオ波なら手術をしないで済むし、1ショットで100%焼ける。体への負担も小さい。そのあと様子を見たらどうですか?』と提案しました。『手術しても十中八九、転移しますよ』ともお伝えしました。むしろ手術することで転移を早めてしまう可能性もあるからです」

川島なお美さん 手術遅かったとの指摘は間違いと近藤誠医師│NEWSポストセブン

 

東大病院を中心としたオールジャパン・データ (Y. Sakamoto, et al. Cancer 2015 Epub) によると、発見当初の川島さんケースもそうだったかもしれない、大きさ 2cm 以下の「肝内胆管がん」を手術して転移した割合は、「27 例中 0 例 (0 %) 」でした。どこが「十中八九」なのでしょうか。とんでもない説明を川島さんにしていたようです。

 

肝内胆管がん手術は「合併症も含めてバタバタと亡くなっていく」「メスを入れたところにがん細胞が集まり、急激に暴れ出すことが多々ある」(文藝春秋 十一月号より)

 

危険だぞ、怖いぞ、と数字を一切示さないで誇大に恐怖を煽っていますが、これも本当なのでしょうか。ちなみに、手術をした長期生存成績を実際に示しますと、

【5年生存率】 Stage I: 100%, Stage II: 約70%, Stage III: 約50%

という数字です (Y. Sakamoto, et al. Cancer 2015 Epub)。これは新潮記事にも示しましたが、もし万が一、近藤氏の言う通りに手術がバタバタ死ぬ危険なものであるならば、

【5年生存率】 Stage I: 0%, Stage II: 0%, Stage III: 0%

となるはずです。

根拠もなく観念を押し付けるのみで、医学的に完全に誤ったことを公言しているのです。なぜそうまでして、日本ならではの緻密な外科学を貶めようとするのでしょうか。

 

ある立場を長年とり続けているうちに、自身に都合のよい情報だけが見えるようになり、都合の悪い情報は排除してしまう、そのような心理メカニズムを「確証バイアス」といいますが、近藤氏の言論にはそれが顕著にみられます。

軽率な一般化によって、ステレオタイプな物の見方をいったんしてしまうと、もはやその考えを変えられないため、それを打ち消すような情報にはまったく目が向かなくなってしまうわけです。そして、ヒエラルキーの頂点にいると錯覚してしまいます。

「悪質な一貫性」

医師がそのようなバイアスに囚われてしまうと、非常に危険で厄介です。

 

近藤氏の言論活動の根っこにあるのは「医学」ではなく、ただの「思想」なのだと思います。専門的な用語や数字を並べて「医師」という立場を取りながら、「医学」と「思想」というふたつを巧みに使い分けているところが稀代のトリックスターである所以なのでしょう。

「思想」であるならば、表現は自由なのかもしれません。しかし、「医師」として患者さんを目の前にして語るのであれば、倫理的なルールを絶対に遵守するべきです。それが不可能ならば、都合よく「医師」の肩書を利用するべきではありません。

 

たった一度、わずか30分程度話しただけの医師が、文藝春秋記事にみられる

「法律上、亡くなった方は医師の守秘義務の対象ではなくなりますが」

という前提を置いて、川島さんの個人情報をベラベラと公で語り出すのも、法に抵触しないから許されるということではなくて、「医師として倫理的にどうなの?」という問題なわけです。

倫理は普遍性を帯びています。古くは、『ヒポクラテスの誓い』において、

「治療の機会に見聞きしたことや、治療と関係なくても他人の私生活について洩らすべきでないことは、他言してはならないとの信念をもって、沈黙を守ります。」

と述べられています。それを引き継ぎ、1948年に採択されたジュネーブ宣言の中でも、医師の守秘義務について、

「私は、私への信頼のゆえに知り得た患者の秘密を、たとえその死後においても尊重する。」

と述べられているのです (日本医師会ホームページ「医師の守秘義務について」より)。

 

彼の提唱する「放置療法」の実態は、リスクを極端に煽ることで、治療の概念自体をイデオロギッシュに否定し、その背反にある "治療しない=放置" を推奨しているだけのことです。

しかし、「放置」自体につていの利益・不利益については何も確かめられていません。加えて、治療による不利益を誇大に強調されますが、放置による不利益については決して何も語ろうとしません。

近藤言論の根本にあるのは、都合のよい論文データや数字の切り取り、貼り付けのみで彩られた 「egoism(エゴイズム)」であり、患者さん(利他)不在なわけです。そんなところに倫理など宿るはずもありません。

 

そして、「医療倫理の欠如」は、別に近藤氏だけに限った話ではないということです。彼のような医師を生み出す不健全な病理がこの国にはいたるところに存在しています。

サイエンスをしっかり理解できないメディアや、思考停止から脱却できない国民性につけ込むことで、倫理が欠如した医師が増殖を続けています。

 

健全ながん医療現場、理性ある医療従事者をイタズラに妨げる異質な思考破綻に対して、批判的になれる賢さを読者ひとりひとりに是非とも身に付けて欲しいと願うばかりです。

 

大場先生、がん治療の本当の話を教えてください

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