大場大のブログ "セカンドオピニオン"

がん治療専門医による、個人的な「つぶやき」ブログ

がん治療革命?またしても根拠の薄い文藝春秋本について

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文藝春秋から刊行されている『がん治療革命「副作用のない抗がん剤」』(奥野修司 著) が、非常に多くの人に読まれているようです。オビには、「末期なのになぜこんなに元気」「ノーベル賞候補」「希望の治療法」と、聞こえの良いフレーズが並んでいます。前田浩氏(熊本大学名誉教授・崇城大学 DDS研究所特任教授)という人物が開発した「P-THP」という治療薬(未承認薬)の PR本のようですが、多くの方から質問を受けるので、私なりの感想をこの場で述べてみようかと思います。

 

まずは、この本を読んだ率直な感想として評価できる点は、医学記述が概ね正確であり、専門的事項が比較的わかりやすく表現されていること。参考文献が無難だったのでしょう。しかし、問題に感じたのは全編にわたって抗がん剤を悪とみなす強いイデオロギーが前提となっていること。そして、統計学的、臨床的思考が不足していること。

この本に登場する「P-THP」とは、古典的な抗がん剤ピラルビシン (THP) に高分子ポリマー (P-) をくっ付けたもので、より選択的にがん組織に抗がん剤ピラルビシンを届けることが可能となり、なおかつ副作用の軽減が期待できる治療法として開発されたようです。

このように、既存の抗がん剤を高分子化することで、より選択的に集中してがん病巣に到達させることで治療効果を高め、さらには副作用の軽減も目指すコンセプトをドラッグ・デリバリー・システム(DDS)と言います。

これに着目した治療としてすでに有効性が証明され承認されているのがドキシルやアブラキサンという薬です。しかし、元々はそれぞれドキソルビシン、パクリタキセルという既存の抗がん剤を改良したものであり、適応も限定的でましてや万能薬などではありません。

さらに、日本のナノ・テクノロジー技術を利用した DDS系抗がん剤の開発は現在も進行中です。例えば、パクリタキセルを高分子化したNK105、シスプラチンを高分子化したNC-6004、ドキソルビシンを高分子化したNK911など。ちなみにドキソルビシンは、ピラルビシンと同じ類の抗がん剤です。

著者によると、ビジネスの観点から臨床試験をする気がない製薬企業に問題があると述べられています。しかし、少なくとも上記に挙げた薬剤については真面目に臨床試験が行われている最中です。

NK105 に関しては、転移のある乳がん患者を対象にした国際共同ランダム化比較試験(第III相試験)が行われ、標準治療パクリタキセルに対する非劣性を示すことができなかったとプレスリリースされています (詳細は未)。

新規抗がん薬内包高分子ミセルNK105の第Ⅲ相臨床試験結果のお知らせ | ニュース | 世界的すきま発想。日本化薬株式会社

当時、ある東大教授がメディアに頻繁に登場し、このNK105が何やら奇跡的な効果を生み出す新たな抗がん剤として注目を浴びていたわけですが、蓋を開けてみると、生存利益が標準治療に対して「引き分け」にすら持ち込めなかったという残念な結果に終わっています。

 

フリー・ジャーナリストである著者は「P-THP」について「こんなすごい抗がん剤なら、なぜ保険薬にならないのだろうか。」「これほど優れた抗がん剤が世に出ないことが不思議でならなかった」と、声をあげていますが、答えは簡単です。

わずかな体験談のみで、今ある標準治療を上回る根拠データが存在しないからです。

以下、具体的な問題内容に触れていきます。

 

著者は、200 名近い患者にこの「P-THP」が投与されたうちの約 30 名を取材した結果、「副作用がなかった」「2 名に寛解が得られた (治癒とはいえない)」だから有効であると結論づけています。では、他の 170 名はどのような転帰を辿ったのでしょうか。

要するに経過の良い 30 名だけを抽出して(選択バイアス)、「奇跡」や「革命」を論じるには到底無理があると最初に申し上げておきます。

また、安全性を確認する 'パイロット研究' に従って投与していると書かれていますが、データ報告がどこにも見当たりません。表には見えない血液毒性も含めた客観的なモニタリングはしっかりされているのでしょうか。例えば、本の中にP-THP投与中の患者が誤嚥性肺炎で死亡したと書かれています。原因はラーメンの誤嚥だと。しかし、P-THP投与中の出来事である以上は重篤な有害事象として扱われるべきです。

「研究」と言っている以上、今後この未承認薬を何をゴール (エンドポイント) として、あと何名に投与し続けるのか。客観的なデータはいつ公表されるのか。本に登場する山岡医師は仮名のようですが、現状のままでは倫理的に「人体実験」と言われても文句は言えません。

 

さて、本の中には抗がん剤に対する常識?について、著者の主観に基づく強い表現が多々登場するので抜粋します。

  • 抗がん剤は殆ど役に立たない。95%は、たとえ延命してもいずれ亡くなる
  • 最後はがんで死んだのか抗がん剤で死んだのかわからないことがしばしば起こるのは、抗がん剤はがん細胞だけをターゲットにできず、その毒性によって正常細胞もズタズタにするから
  • 抗がん剤は、治癒を求めるのではなく、どれだけ延命したかが目標とされるのである。がん患者の前は死屍累々なのだ。
  • (副作用で)七転八倒
  • (抗がん剤は)猛毒、マシンガンを無差別に打ち込むようなもの
  • (抗がん剤投与は)毒漬け
  • 抗がん剤とは、がんになった人間を生きるか死ぬかの瀬戸際に追い込んで、運よくがん組織のほうが先に死んでくれればラッキーという、バクチのような「薬」なのである。がん腫によってはよくなる人もいるが、多くは苦しみながら延命するだけで治癒することはない。 

抗がん剤の否定を前提としながら、奇跡を謳う体験談を強調する論法は、エセ医学ににみられる常套手段といえるでしょう。

  • 「もう治療法はありません」と言われた、末期がん患者の治療ドキュメント
  • 「P-THP」の投与を受けた〝進行期″がん患者四人の証言。

上記サブタイトルにもみられるように、少数の患者からの聞き取りと山岡医師(仮名)への取材、すなわち見聞や体験談を根拠として以下の結論が列挙されているわけですが、具体的な数字がほとんど登場してこないため科学的議論を困難にしています。

  1. ステージIVでも余命を伸ばしている人は、抗がん剤治療が初めての人に多い。(以下、略)
  2. 「有効性が高いと思われるがん腫」は前立腺がんや卵巣がん、乳がんなどのホルモン依存性がんが多い。限定的だが、肺がんや胃がんにも効果が期待できそうだ。
  3. 肝がんや胆嚢がんはそれほど顕著な効果は見られない。
  4. P-THPを 5 回以上受ける体力がある人は余命が確実に伸びる。
  5. 治す力は未定だが、延命効果と症状をコントロールする効果はある。つまり、P-THPの投与を受けた人は、これまで通りの生活を継続している方が多い。(中略)ステージIVでも完全寛解に至るケースも複数あることだ。

これらについては、例えば以下のように突っ込みどころが満載です。

  • ステージIV=末期ではないため、生命予後には大きなバラつきがあります。対象条件を揃えるべきであり、その際に一体何と比較しての延命効果と仰るのか。もちろん「プラセボ効果」も無視できません。したがって、生存利益を訴えたいのであれば比較対象を明確にすべきです。
  • それぞれのがん腫で、どのような対象条件で、何人中にどれほどの割合で、どのような効果があったのか。しっかり数字を示すべきです。
  • 緩和ケアのみでも、これまで通りの生活を元気に過ごせているステージⅣの患者さんは一定数いらっしゃいます。したがって、P-THPを 5 回以上受けたからではなく、もともと余命が長く元気に過ごしている患者さんを恣意的に抽出したところ、結果としてP-THPを 5 回以上受けていただけでは。要するに、「因果関係が逆」ではないのか。
  • 寛解したケースについては、P-THPと併用して行われていた治療の効果もあるのでは。標準治療でも寛解する (治癒ではない) ケースはあります。
  • P-THPとは言っても、要するにピラルビシンという抗がん剤が何のがん腫に対して有効なの?という前提が必要です。各論として、ピラルビシンはトポイソメラーゼⅡ阻害薬の枠にあるアンスラサイクリン系に属しています。数多ある抗がん剤の中で、なぜこのピラルビシンのみが絶対的な薬のように扱われるのか。

他にも、「P-THPに関しては、重粒子や放射線を当てた後のほうが効果が高い。これも副作用がないからである。」と記述されているわけですが、そう結論づける根拠が不明です。

 

一方で、世の中には抗がん剤治療をただ目的化している医師は少なくなく、この本がそれに対する問題提起となっているようにも感じました。本のはじめ書きに、以下のような記述があります。

  • ーある大学病院で、パソコンの画面を見たまま、「手術した場合は5年生存率が10~20%。手術しなければもって1年です」と平然と言った医者がいた。患者が青ざめているのに、患者の顔を見ようともしない。冗談ではなく、本当にこんな医者がいるのである。(以下、略)

これは事実でしょう。がん専門病院でもそのような医師がいることを時々聞きます。

 

では、治癒が困難ながん患者さんにとって、抗がん剤を使う目的とは何でしょうか。答えは、いま現在できている生活・人生の質 (QOL) をできる限り落とさないで、一日でも長く維持させることにあります。

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グラフ図は、適切な緩和ケアを受けている終末期がん患者さん7,882人の QOL の変化について、死亡する6か月以上前から時系列で追った研究結果を示しています (Seow H, et al. J Clin Oncol 2011; 29: 1151-1158)。

簡単に要約すると、がん患者さんは、適切な緩和ケアを受けることによって、その QOL を死の間際までずっとパラレル (平行) に保つことができるというものです。

がんの進行によって QOL が妨げられ、自立や正常活動がほぼ困難になり寝たきりになるのは、死亡 2~3 週間前に急に訪れることが多いことを意味しています。言い換えると、適切な緩和ケアで死亡する直前まで QOL を保つことが可能だということです。時には介助も必要になるかもしれませんが、6カ月くらい前までは趣味や旅行も十分に楽しめます。

この時期は、患者さんにとって、家族にとっても非常に大切な時間であり、そのような時に無理をして副作用のある抗がん剤が使用されるべきではないというのが個人的見解です。

そのような意味では、「P-THP」の実態云々は別として、筆者は、終末期のがん患者さんの QOL の大切さ、命の尊さを暗に訴えているのかもしれない、と良い方に解釈しながら読み進めた本でもありました。

 

とはいえ、門的なエッセンスを散りばめながら読書に信頼を与える一方で、僅かな体験談、主観を基に未承認薬の有効性を誇大に結論づけてしまうふるまいは問題視すべきです。要するに、「エセ医学」本の範疇であることを意味します。

そして、この戦略は文藝春秋と切っても切れない関係にある近藤誠氏の著作にも同様にみられます。この出版社に「無知の知」を期待するのは難しいようです。

 

 

大場先生、がん治療の本当の話を教えてください

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