大場大のブログ "セカンドオピニオン"

がん治療専門医による、個人的な「つぶやき」ブログ

『近藤誠理論』を科学的に吟味する (再掲)

『ニセ科学を斬る!ファイナル』(Rika Tan 2019年 4月号 ) に掲載された拙記事を再掲します。ほかにも非常に興味深い特集が組まれています。

f:id:masaruoba:20190313142908j:plain

はじめに

 「がん」という病気は人生を一変させてしまう大きな出来事です。医学がいくら進歩しようとも、「がん」という病気には、いまだに不明なことがたくさんあります。最善の医療が施されたとしても、必ずしも期待通りの結果が得られないこともあるでしょう。もちろん、医療行為にはゼロリスクはありません。そうした不確実な特徴を知ってか、医療に対する頭ごなしの否定や安直ながん克服方法にみられる、いわば “エセ医学” が身の回りに氾濫しています。その中でも、長年にわたり異質な情報を発信し続ける医師がいます。それは、元慶應義塾大学病院放射線科医師の近藤誠氏です。「がんは放置がいちばん」「手術は受けるな」「抗がん剤は効かない」「医者に殺される」などなど、刺激的なフレーズがちりばめられた著作の数々は大ベストセラーになっています。

 実際の医療現場とは離れたところで「近藤理論」として温存され続け、熱狂的な支持者も少なくありません。 本稿では、近藤氏の言説にみられる誤りについて、紙面が許す限り科学的かつ客観的見地から指摘してみたいと思います。

 その前に申し上げておきたいのは、「近藤理論」とメディアからもてはやされているものの、医学論文の形になっているものは皆無だということです。STAP 細胞という稀代のサイエンス詐欺として世間を賑わせた小保方晴子氏ですらも、論文の形にした結果として、公の場で糾弾の対象とされました。いくら一般向けにベストセラー著作を重ねて名が売れようとも、「近藤理論」は仮説の域を越えていないということにご留意ください。

 

「がんもどき理論」とは?

 さて、近藤氏の言説の根幹をなす「がんもどき理論」というものを要約すると以下のようになります。

  • がんは、どのような進行程度であっても、「本物のがん」と「がんもどき」に分けられる(二元論)。
  • 「本物のがん」は、大きさ1 mm にも満たない時点ですでに転移している。だから、治療をいくら受けても治らないから無駄である。手術や、抗がん剤は命を縮める効果しかない。
  • 「がんもどき」ならば、放っておいても転移する能力は持たない。「本物のがん」に変化することもないため放置に限る。

 なんだか狐につままれたような話です。例えば、治療を受けて治った患者さんに対しては、それは「がんもどき」だった。治療なんて本当は必要がなかった、と言えます。「がん」が原因で亡くなった患者さんの家族には、「本物のがん」だったから仕方がない。ただ、受けた治療は無意味であったどころか、手術や抗がん剤のせいでむしろ命を縮めたのではないか、とも言えます。したがって、患者さんがどのような結果になろうとも、「ね、私の理論通りでしょ」と結論づけることができるわけです。

 

「本物のがん」はどこから?

 「がん」がごく微小な段階からすでに転移している運命にある「本物のがん」について、近藤氏は何を根拠にして提唱しているのかご存知でしょうか。実は、以下に紹介する論文が参考にされています。『癌の時間学』というタイトルで、当時の東京大学第一外科教授 草間悟氏が執筆したものです (「癌の臨床」 1981年)。これは、商業誌掲載の査読がない依頼論文であることを付言しておきます。

 内容について、腫瘍の体積が倍になる時間を「ダブリング・タイム」と定義し、草間氏らが経験した乳がん症例について、縦軸に腫瘍の径、横軸に時間をとって対数をとると直線になる。すなわち、乳がんは一定の発育スピードを示す可能性について述べられています。そのような手法に基づいて乳がん手術症例111例が分析された結果、①手術時にみられたリンパ節転移の発生時期と ②手術後の再発・転移の発生時期は、「ダブリング・タイム」に従うと、腫瘍径 0.1 mm 未満の時期であると推察されています (図1:「癌の臨床」1981年より引用)。

 

f:id:masaruoba:20190313145007j:plain

 近藤氏は、40年近くも前に報告された抽出 (セレクション) バイアスのあるこの仮説レベルの話を、都合のよい箇所のみを切り取って自説に組み込んでいたのです。さらに、この論文で取り上げられた乳がんの話のみならず、すべてのがん疾患に対しても同じロジックを当てはめ一般化してしまいます。

 ところが、この論文には他のデータも示されていて、乳房に肉眼的しこりとして発見された後、放置されることで転移する乳がんも同等に認めています。著者である草間氏は、「手術で治せる乳がん」の存在もしっかり肯定しているにもかかわらず、近藤氏はその話には目を向けようとしません。

 

「抗がん剤は効かない」

 近藤氏による代表的な言説ですが、その根拠を示すためにメディアで頻用されているグラフがあります (図2:「がん治療で殺されない七つの秘訣」 2013年 文春新書より引用)。これは、一見もっともらしいのですが、偽造ともいえる非常に不可解な図であることを、以下で説明します。

 

f:id:masaruoba:20190313145413j:plain

 生存曲線Aは約100年前のデータで現在だと治療で治せるケースも含んだ「乳がん患者に対する無治療の生存成績」 (Br Med J 1962年 掲載)。生存曲線Bは約50年前のデータで「転移した乳がん患者に対する抗がん剤多剤併用による1次治療成績」 (Cancer 1985年 掲載)。生存曲線Cは約15年前の「転移した乳がん患者に対する抗がん剤単剤による2次治療成績」 (J Clin Oncol 2002年 掲載)。それぞれが近藤氏によって比較され、勝手に優劣が論じられています。

 視覚上、「無治療」の生存曲線Aが一番上に位置するため、なるほど、抗がん剤を受けると延命どころか命を縮める効果しかない、無治療がいちばん良いことなのだ、と一般読者は直観的に思ってしまうかもしれません。しかし、ここで大きな科学的欠如があります。それは、比較されているそれぞれの生存期間のスタート時点が揃っていないということです。年代による医療資源、患者背景、治療設定についても、各々でまるで異なっています。リンゴとオレンジをいくら比較しても意味がないのと同様な話です。さらに問題なのは、無治療Aの生存曲線が掲載されている原著論文を確かめると、なんと、生存曲線Aよりも良好な成績を示す別のデータも示されていました。それは、「治療を受けた場合の生存曲線」で、著者は、無治療ではなく何らかの治療を受けた方がよいと主張しているのです。

 それにもかかわらず、近藤氏は都合のよいデータのみを切り貼りし、本来の論文主旨をフェアに取り扱っていません。このような科学的姿勢から大きく逸脱した作業を平然と行える時点で、医師として信頼できるでしょうか。しかし、なぜか生存曲線というものに対しては人一倍の執着を示します。

 

「生存曲線の形が奇妙だ」

 近藤氏によって、そう判定されてしまった途端、その生存曲線グラフが掲載されている論文は「インチキ」の対象になってしまいます。その判断理由は一体どこにあるのでしょうか。

 

f:id:masaruoba:20190313145454j:plain

近藤氏:「前提として、治らない患者たちの生存曲線は、上図 (図3) のように漸減し、左下方に向かって凸形になることが重要です(この形を指数関数曲線という)。このルールに例外はなく (Cancer 1986)、もし指数関数曲線と違った形を示すなら、何らかの人為的操作が加わったと考えられます。」(「抗がん剤は効かない」 2011年 文藝春秋より抜粋)

 この命題は、「近藤理論」の要となっているのですが、根拠とされているCancer 論文を確認してみると、近藤氏によって「例外はない」と強く結論づけられている生存曲線のルールはどこにも記述されていません。この論文の内容について以下、説明します。

 

生存曲線のルールとは?

 かりに25%の死亡発生リスク (ハザード) が一定だと仮定した場合、次図のグラフAのような理想的な指数分布を示す生存曲線になる (図4A: Cancer 1986年より引用)、というあくまで便宜的なモデルが論文中に示されているに過ぎません。これが、近藤氏が例外はないとする生存曲線の理想的な「形」のようです。

f:id:masaruoba:20190313145546j:plain

 これの対数をとるとグラフBのように直線となり、一定のハザード25%がその直線の「傾き」としてわかりやすくなる (図4B: Cancer 1986年より引用)、ということです。ところがなぜか近藤氏は、この情報を盾にして一気に、「乳がん患者の死亡発生リスクは常に25%である」と論理を飛躍させてしまいます。さらには、乳がんの話のみにとどまりません。

 近藤氏にとって「臓器を切り刻む犯罪的な治療」の代表格である胃がん手術の場合にも同じロジックを無理に当てはめようとするのですが、本当でしょうか。実際の胃がん手術後のハザードと生存曲線の関係 (形) を簡潔に説明すると次のようになります (図5 オリジナル作成)。

 

f:id:masaruoba:20190313145634j:plain

 胃がんを治すために手術を受けても、残念ながら再発してしまうこともあるでしょう。手術後、胃がんが原因で亡くなる死亡リスクは、手術を受けてから3~4年ほどたった後のほうで高まってきます。しかし、最初の1~2年では、死亡という出来事はそれほど頻繁に起きるわけではありません。したがって、手術後1~2年の死亡リスクは、階段から急に転げ落ちるような状況にはないため、生存曲線前半のハザード(傾き)は後半に比べて緩やかとなります。結果として、生存曲線の形は、近藤氏が好む「指数関数曲線」のようにはならず、下ではなく上に凸のように膨らんでみえます。

 この形は、決して、近藤氏の言う「人為的操作」でもなんでもなく、胃がん手術が安全に実践されている現場のリアルを示しているに過ぎません。ところが、近藤氏は図5のような形になることを断じて許しません。なぜならば、「近藤理論」によると、胃がん手術とは「1~2年でバタバタ死ぬ怖い治療」とみなされているからです。要するに、生存曲線の形についてのルールとは、検証された科学的真理ではなく、近藤氏の好悪を論じているだけに過ぎません。

 

またもや論文主旨を恣意で曲解

 話を先のCancer論文の内容に戻します。治療を受けた患者集団の死亡発生リスクは、長期間追跡していくと、決して一定ではなくある時点で変化するということが述べられています。それをふまえて、次の仮説グラフが登場してきます。おそらく、著者がもっとも強調したかった話だと考えられます (図6: Cancer 1986 年より引用)。

 

f:id:masaruoba:20190313145702j:plain

説明しますと、Aという治療によって、3年目の早い時点まではグラフの傾き (ハザード) がCよりも急に落ちていますが、それ以降は緩やかとなっています。一方、Cという治療は、最初の頃は治療Aと比較して傾きが緩やかで、死亡発生リスクは低いようにみえます。しかし、長期間にわたって俯瞰してみてみると、生存割合は治療Aの方が逆転して上に位置しています。もし「A治療 vs C治療」の比較がされたときに、評価が治療後3年ほどの早い時点で行われてしまうと、グラフが上に位置する治療Cの方に軍配が上がるかもしれません。しかし、実際に患者に真の利益を与えているのは治療Aの方だということです。

 したがって、著者は早い時点で起こり得るリスクだけを切り取って治療Aを否定するやり方は意味がないと主張しています。治療の是非は、患者集団を長期間追跡しながら、全体を通して客観的に判断するべきだと論じているのです。「積極的な治療をすることで最初に死亡リスクが生じるのは否めないが、長期的には多くのがんサバイバーを生み出すであろう。」この文章で論文の最後は締められています。それにもかかわらず、近藤氏はこの論文主旨をどのように捉えていたのでしょうか。

 ここであらためて、近藤氏の推奨する「がん放置療法」について考えてみましょう。近藤氏による「がん放置」はリスクを恐れて積極的な治療を施さないわけですから、最初のごく短い期間だけを切り取ってみれば、死亡リスクは確かに治療を受けるよりも瞬間的に低くなるケースはあるかもしれません。しかし、「がん放置」は、どのような患者に対しても長期間にわたって耐えられるやり方なのでしょうか。

 

奇妙な形をした生存曲線の流布

 前述したように、生存曲線の形に対して強い囚われを持つ近藤氏ですが、自身のセカンドオピニオンでは次図のような自作の生存曲線を患者さんに見せながら「がん放置療法」を強く推奨しているようです (図7: 幻冬舎plus より引用)。

 

f:id:masaruoba:20190313145734j:plain

 本誌読者にはもうお分かりだと思いますが、この生存曲線の形こそが、まさに奇妙だと言えます。「がん放置」によって、最初の2年半もの間、生存率100%が横に一直線となる根拠は一体どこにあるのでしょうか。これが意味するのは、すべてのがん患者集団の中に誰ひとり死亡リスクが存在しない、ゼロリスクであることを意味します。放置させたがん患者さんが、長い目で見たときに実際にどのような結果になっていくのかを、近藤氏は誠実に追跡しているはずがありません。

 現に、「近藤理論」を盲信してしまったがゆえに、本来救えたはずの患者さんが救えなくなってしまった事例、苦痛に耐えながら壮絶な死を迎えるような事例が、これまで以上に多々見聞されるようになっています。それでも自身は一切責任を負わず、このような生存曲線を平然と描けてしまうのは、がん患者さんを机上のロジックのみで裁いているからでしょう。

 

「近藤理論」の本質とその背景を探る

 かつて、手術至上主義のうえに君臨していた外科医の傲慢さに向かって勇敢にモノ申したり、いち早く海外の動向をとらえて乳房温存療法の標準化を先導しようとしたこと、さらにはインフォームド・コンセントの普及にも寄与した当時の近藤氏の医師としてのふるまいは、賞賛に値するものと評価します。

 しかし、現在の近藤氏のふるまいは、がん患者さんの立場に立った利他的なものと言えるでしょうか。本稿で指摘した科学的誤りはほんの一部に過ぎませんが、「近藤理論」とは、持論を支持するデータ・証拠のみにしか目がいかない「思考バイアス」で成り立っていることがおわかりいただけたかと思います。現代医療に対して誇大にリスクを煽るのも、復讐心にも似た個人的感情 (ルサンチマン) を源泉としているからでしょう。例えば、嫌いな外科医=手術、嫌いな腫瘍内科医=抗がん剤、のように批判したい集団と行為がそれぞれ同値とされている構造があるようです。もしそれらが本当だとすれば、「近藤理論」とは単なるエゴであり、まっとうな医学とは完全に区別される必要があります。

 しかしながら、思考が停滞してしまった人たちにとっての「近藤理論」は、鮮明で記憶に残りやすく、感情が掻き立てられる情報であることもまた事実です。なぜならば、「がん」という差し迫った状況だからこそ惹起される、意思決定をスピーディーに単純化しようとする心理バイアス (ヒューリスティック) にうまく合致するからです。「うまい秘訣」をどうしても希求してしまう行動経済学的な要因もあるのかもしれません。そうなってしまうと、もはや科学的根拠の持つ意味は力を失い、宗教の様相を呈してしまいます。

 近藤氏自身も、多数の熱狂的支援や法外な収入を得ることで自信過剰となり、現在も悪びれもなくバイアスを重ね続けています。当然、メディアにはそれらを見抜く力など備わっていません。そしていつしか「悪質な一貫性」を保つための後知恵だけがものすごく発達してしまったのが「近藤理論」の本質ではないでしょうか。

 本誌読者には、科学リテラシーをいつも大切にしながら、巷にはびこる “エセ医学” に対して健全な批判的吟味ができるようになっていただきたいと願います。

 

愚者は己を賢いと思う。賢者は己が愚かであることを知っている。(ウィリアム・シェークスピア)